有峰なぜ?なに?博物館

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うれむら

有峰村の旧名、文禄4年(1595)の文書に「宇連村」とあるのが初めて。写真は元和8年の文書

表記については「宇連村」、「宝礼村」、「宥正村」、「う連むら」、「有嶺村」などと微妙に変化している。写真の文書には、「う連村」とある。
元禄の頃、前田藩では藩内の読みづらい村名を改めることになり、この時「ウレ」が「憂い」に通ずることから、訓読して「アリミネ」とすることに決められた。残存する古文書では、元禄8年(1695)10月以降のものはすべて「有峰」となっている。
室町時代の初期、明徳元年(1390)になって、有峰はわずかながら初めて歴史の中に顔を出している。この年6月、夢のお告げによって里薬師が有峰に祭られた、という記録である(「薬師岳信仰」参照)。有峰に伝わる「狛犬」は、年代測定によると最古のものが1330年代の作と判明した。それ以前のいつ頃から有峰に人が住んでいたのか、確かなことは分かっていない。
「肯搆泉達録」(1698)は「平家の落人多く隠るといへり、今なほ武具を伝ふ」と記している。ここでいう武具とは上野家の「冑権現」のこと。平家落人伝説も倶利伽羅合戦の平家ではなく、平氏の出自を称する江馬氏の武将河上中務丞富信が中地山で敗れ、1580年頃有峰に逃れて住みついたとされる。
(2005/3/23 柳川調べ)