有峰なぜ?なに?博物館

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もと有峰東谷宮にあったという。信州の文化の影響がうかがえる。


■狛犬の由来

狛犬はおもに神社におかれるが寺にもおかれる。

辟邪(へきじゃ)といって心のよこしまなものが入り込むのを防ぐためにおかれた「守護獣(神)」である。原点は百獣の王と恐れられたライオン(獅子)である。エジプト・インドを経て中国で獅子になりわが国で狛犬になった。朝鮮を高麗(こま)・狛と称したことから出ているが、外来の犬くらいの意味である。

わが国では平安時代に始まり阿吽の開口と閉口になっている。阿は獅子で吽の角をもつものが狛犬だったが、鎌倉・室町期のころから角が失われた。屋内のものは木造で屋外のものは石造(陶製などもある)が多く、江戸時代以降さかんに作られた。
■有峰の狛犬の概況

有峰の狛犬は東谷宮の社殿のひさしの下に8体4対がおかれていた。明治43年(1910)の山岳雑誌の写真にのっている。大正9年(1920)有峰が県有地として買収され廃村となった。

迂余曲折を経て松本民俗資料館に収った。狛犬が社殿におかれた位置による違いからか、風雪の影響が見られ製作年代に相異があるか判断できないが、村の成り立ちから室町期からさかのぼるとみられる。一説に鎌倉期という人もいる。作者は有峰の人より円空のような漂泊の彫り師だったかも知れない。4対はいづれも阿吽の様相で、角をもった対は2対みられ、儀軌(仏像製作の約束)にかなっている。

また、作物を荒らす野獣を調伏するために彫ったともいっている。

狛犬は、平成12年に松本市から大山町に戻され、亀谷の大山歴史民俗資料館に展示されている。また、有峰記念館には複製が展示されている。
中川正次調べ 2002/8/31