有峰なぜ?なに?博物館

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伝承によれば、室町時代の中頃にミザの松という猟師が夢のお告げにより鳥居を建てたことに始まる。

写真:頂の社殿(辻本満丸撮影、「山岳」第五年より)

有峰村の人々は、薬師岳を神聖なものとして崇め、「岳は日に五たび色がかわる」と言って尊び、「重い病も薬師に祈れば治る」といって信仰した。その信仰は離村時まで連綿と受け継がれてきたという。
旧暦の6月15日は、薬師岳頂上での薬師祭であった。村の15〜50歳までの男衆は祭りの一週間前から精進し、当日には沐浴して塩で身を清め、提灯を持って登り、途中三度程雪水で“みそぎ”をし、頂上近くからは素足で登って参拝を済ませたそうだ。特に願いのある者は山頂の祠に鉄剣を献納した。

薬師岳の山頂には薬師如来を祀った祠がある。以前はそのまわりに鉄剣が累々と積み上げられていたそうで、現在もいくつか見られる。この「岳の薬師」のほかに、有峰村に里宮の「里の薬師」があった。
伝承では、「ミザの松という駕籠の担架棒作りを職業としていた男がミザの平で昼寝していたところ、ミザの松、ミザの松と名を呼ぶ声があった。目をさましてみると、光り輝く小さな薬師如来がおわす。ミザの松が驚いて如来のもとにかけ寄ると、如来は遠くにおわす。如来のあとを追いかけてゆくうち、次第に山高く登り、如来は五ノ目の自然石の堂に入って姿が消えた。これを祀ったのが薬師岳の開け始めである」という。この「岳の薬師」の前立として、夢のお告げによってミザの松が有峰の里に創建したのが「里の薬師」であるということだ。『大山町史』は里宮の創建を明徳元年(1390)としている。
有峰村民が鉄剣を祠に供えるしきたりなどからも分かるように、本来は岳の山神に対する信仰だった。それが徐々に仏教化されてゆくうちに、薬師信仰に変わっていったと推定されている。薬師岳が仏教化される以前には、薬師岳を神崎山の名で呼ばれていたり、里薬師にも鳥居が立っていたという証言から、信仰のあり方は多分に神道的だったといえる。

(五十嶋一晃「岳は日に五たび色がかわる」より)
(2005/1/25 柳川調べ)