有峰なぜ?なに?博物館

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<関連項目>宇連往来 薬師岳信仰


簡単な地図

1.祐延峠
有峰林道小口川線で水須から有峰へ向かうと、小口川(常願寺川の支流)沿いのうねった林道を延々と進まねばなりません。途中に祐延ダムがあり、程なくして小口川線で最も標高の高い祐延峠(1430m)に着きます。そこで一気に視界が開けて、薬師岳、立山といった北アルプスの山々の連なりが見えます。「鯖雲を天蓋として岳並ぶ」、中坪達哉氏は俳句にこう詠んでおられます。「立薬師(たちやくし)」と詠まれるその景色は、視界の良い快晴の日にのみ与えられる山々からの賜り物のように思えます。

以前、水須から有峰へ向かう道は「うれ街道」と呼ばれていました。水須集落は現在と異なる位置にあって、うれ街道はそこから有峰村へと続いていました。その道は現在廃道となりましたが、東笠山(1687m)や辻峠(1607m)などを越える標高差の大きい難路であったということです。

かつて、うれ街道で水須から有峰へやってくる稗作見分の役人を、村の人々はわらび餅を持って辻峠まで出迎えたといいます。辻峠は祐延峠に程近く、役人たちも立薬師の景色と美味しいわらび餅に心癒され、残りの道中を急いだのかもしれません。

2.大多和峠
大多和峠(1307m)は岐阜県との県境に位置し、有峰林道大多和線の料金所が設置されています。ここから望む薬師岳も美しく、うれ街道はこの峠を通って岐阜県大多和集落へと続いていました。有峰から大多和へ向かう道は、婦女子の買い物道として一番容易でした。大多和峠が「タワ(峠の意)」「入出タワ」と呼ばれたことから、それだけ生活に密着した道であったことが伺えます。

岐阜県へと続くうれ街道は「お伊勢参り」の道でもありました。有峰村では、毎年年末に2人の男衆を伊勢に送り出したといいます。これに選ばれることは大変な名誉で、村民全員で大多和峠まで見送ったそうです。

また、毎年初午には「チョウハイ」という習わしがあり、女衆が土産を携えて大多和や佐古、跡津川といった岐阜県側の集落に泊まり、初午ダンゴなどを持ち帰りました。それらの集落は有峰の枝村であったといわれます。女たちは大多和峠まで有峰村の男たちに付き添われ、向かう集落の男たちが峠で出迎えたそうです。

出迎えや見送る者たちは、どんな想いを募らせて峠に立ったのでしょうか。
3.唐尾峠
有峰と岐阜県山之村とを結ぶ道は山之村間道と呼ばれ、唐尾峠(1610m)はその県境にあたります。山之村間道は旧鎌倉街道の一部でもあり、遺跡や伝承などを総合すると、鎌倉への抜け道としての利用もあったようです。加賀藩が密かに能登塩を飛騨へ運んだルートであり、牛飼いや馬喰もこの道を利用したといわれます。飛騨側から薬師岳へ向かう時にもこの道を使いました。また、有峰村とチョウハイで結ばれた集落との間には婚姻関係はなかったようですが、山之村の集落との間には幾度か縁組みがあったということです。

現在も、唐尾峠へは車では行けず有峰の西谷から2時間以上も歩かねばなりません。それだけに、たどり着いたときの喜びは大きいです。
4.折立峠
折立峠(1457m)は折立登山口の近くにあり、新折立隧道の約1km北に位置します。隧道の完成により、通る人も少なくなりました。

その昔、安住の地を求めさまよう人たちが、常願寺川、真川とさかのぼり、急勾配の谷を歩きつづけて折立平に達し、西に見える山へ登ったところ、すぐ眼下に開ける有峰盆地を目にしたといわれています。長く厳しい旅を続けてきた人たちにとっては、この盆地が夢の別世界、桃源郷にも見えたことでしょう。こうして人々はこの地に足をとどめ、住み着くようになったに違いない・・・有峰村ではそう信じられていたといいます。場所から考えて、折立峠は桃源郷との出会いの場所に近いような気がしてなりません。
5.小畑尾峠
この名はもう地図から消えてしまい、足を踏み入れることもできなくなってしまいました。有峰村が湖底に沈む以前、村から薬師岳へと向かう登拝路がありました。小畑尾峠(1802m)はその登拝路にあり、折立峠の南約4kmに位置していました。

有峰村の人々は、薬師岳を神聖なものとして崇め、「岳は日に五たび色がかわる」と言って尊んだそうです。その信仰は離村時まで連綿と受け継がれてきたといいます。旧暦の6月15日は、薬師岳頂上での薬師祭でした。村の15〜50歳までの男衆は祭りの一週間前から精進し、当日には沐浴して塩で身を清め、提灯を持って登り、途中三度程雪水で“みそぎ”をし、頂上の手前からは素足で登って参拝を済ませたということです。特に願いのある者は山頂の祠に鉄剣を献納しました。

この古い歴史の道も、有峰村の離村とダムの完成とともに廃道となりました。昔人が一心に薬師岳を目指して越えた小畑尾峠にも、もう立つことはできません。太郎兵衛平などにはわずかに旧道が残り、在りし日の姿を止めています。
文献:高瀬信隆「越中うれ村誌」(常願寺川とその流域史抄)、上新川郡文化協会「有峰を探る」(1957)、「大山町史」(1964)、橋本廣「越中の峠」(1972)、北陸電力株式会社「有峰と常願寺川」(1981)、塩照夫「富山県歴史の五街道」(1992)、飯田辰彦「有峰物語」(1995)、五十嶋一晃「岳は日に五たび色がかわる」(2004)
(2005/2/5 柳川調べ)