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有峰村民の皆様と、双方向で交流するメールマガジン

有峰森林文化村新聞 2019年2月15日 第419号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/青山和浩
(発行日現在の有峰村民人口:979人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ねじばな便り
  〜観光振興の危うさ~                     中川 正次
◆編集局からのお知らせ                 
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◆ねじばな便り
  〜観光振興の危うさ~                     中川 正次
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 ある組織と対立するもう一つの組織を置くことによって、全体の組織の安定を図る
というのは人類の知恵である。刑事裁判では、検事と弁護士がそれぞれの主張をし、
裁判官が判定する。戦前の日本軍は、陸軍と海軍が対抗しており、それはそれでよか
った。敗戦間際、陸軍と海軍を一本化したらどうかという提案が、陸軍からあった。
もし、そうなっていったら、1945年8月の敗戦はなく、戦いは続き、日本が連合国に
分割されていた可能性が高い。国会・地方議会を問わず与党と野党の対立は重要であ
り、政権をチェックするマスコミの存在は社会の安全のために不可欠である。それら
がない国家は危うい。

 その考えをおしひろげていくと、今日の観光は危うい。観光振興を唱えれば選挙で
票になるし、郷土に誇りをもとうとアピールできることから、「観光に、そこまでし
なくてもいいじゃないか」という政治家はいない。テレビ番組の旅先での「うまーい」
を、私たちは毎日うんざりするほど見ていることからわかるように、観光振興はマス
コミの飯のタネである。

 観光の危うさは、カジノにとどめを刺す。政府は、カジノを観光のためにしようと
している。誰が儲かるかといえば、外国の資本であると言われいてもおかまいなしで
ある。観光は、「お金を落としてもらおう」という魂胆から離れることができない。
パチンコや競馬がマスコミの広告としては重要だから、マスコミは、カジノに否定的
ではない。

 ところで、深田久弥の「日本の百名山」の中で、立山は「山上遊園地」と書かれて
いる。深田久弥が、立山の俗化を嘆いての表現と私は読む。

 私が有峰森林文化村を構想した時、北陸電力の社史「有峰と常願寺川」の中から、
「俗化させず大衆の山とする」という言葉を発見した。この社史を編集したのは、山
森直清さんである。さらに、文献を探すと、「俗化させず大衆の山とする」とは、昭
和30年代の富山県民の合意であったということがわかった。「俗化させない」と「大
衆の山」とは、一見、矛盾する。しかし、「俗」と「聖」との違いは何か。「大衆」
とは大乗仏教的な大衆と解釈したほうがよいのではないかと考えていくと、「俗化さ
せず大衆の山とする」は、たいそう高遠な挑戦を語っている。少なくともそこには弁
証法がある。

 今日、観光振興に対して、これでいいのかというブレーキをかける組織を、政府・
自治体・議会・マスコミ・経済界に見出すことができない。このことは危険である。
彼らの観光振興の第一の指標は、入込数である。来た人の数である。感動の高さ低さ
は度外視。しかし、自然を壊したり、清澄な雰囲気を失うとリピーターは来なくなる
のであり、入込数を減らさないために無限のPR活動を展開し続けなければならなくな
る。「この場所は、素晴らしい所だけど、車で来やすくしたりすることなく、このま
ま不便な状態で、将来の人に取っておこう」という抑制が働くことはほとんどない。

 昭和30年代の富山県民の合意であった「俗化させず大衆の山とする」を目指した有
峰森林文化村の意義は、今日、ますます重要となってきている。このことは、猪根山
遊歩道のブナの落葉をかさかさと踏みながら歩く人々、冷タ谷キャンプ場でベンチに
腰かけ弁当を食べた人々には、きっと共感していただいていると思う。 
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◆編集局からのお知らせ                    有峰森林文化村
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◇次号の有峰森林文化村新聞は、3月15日に発行予定です。
 (12月~5月までは月1回、第3金曜に発行)

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                         有峰森林文化村助役(編集長)

有峰仙人
 先日、有峰ビジターセンターの指導員からメールが届いき、「有峰仙人」について
佐藤武彦さんが記載されたコピーが添付されていた。
 その内容は、昭和61年の春に、仙人を知る友人と一緒に、有峰に会いに行った時の
事が書かれていた。仙人は、大正15年3月生まれ、名は種村留吉。17才で父親と八尾
上野へ薬草採りに入り、その後、神岡山之村でキハダの樹皮採取などの山暮らしをし
た後に、有峰の西谷、東谷辺りで、春~秋の期間過ごしていた。単身で、有峰の森で
自給自足の生活を送るには、自然のサイクルに逆らわず、自然の生態を知悉しなけれ
ばならない。流れる川の水の色で、その水辺の温もり加減を計り、コゴミなどの山菜
採取時を知って、採取地点を判断する。秋はキノコ採り。その採取物が生活の糧の全
てなのだ。山籠もりに必要な物品は、味噌、醤油、梅干しと焼酎だけ、この脱俗こそ
が仙人たる由縁なのだろう。

「酒を飲めるうちは山を歩ける」と言っていたが、平成元年10月16日に富山を去り、
兵庫県西宮に越冬して以来、有峰に姿を現すことはなかった。有峰は留吉の第二の故
郷。留吉は薬師如来の加護を得て、桃源海の有峰湖に仙舟を浮かばせ、宝来島の蓬莱
山を眺めながら、浮世を厭うこともなく、不老不死の有峰仙人となって生き続けてい
る。と二十余年を経た今、そう幻想された。と、締めくくってあった。

これは、何に記載されたのか、佐藤さんに尋ねたところ、「雄山神社の広報でなかっ
たかな」ということだったので、岩峅寺の雄山神社へ確認したところ、平成23年に発
行された雄山神社報の立山の四季を歩く(29)として掲載されていた。

 今の有峰の積雪を北陸電力に聞いてみたところ、2月13日9時時点で204㎝と、
昨年より80㎝少ない状況です。