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有峰村民の皆様と、双方向で交流するメールマガジン

有峰森林文化村新聞 2017年2月24日 第380号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/青山和浩
(発行日現在の有峰村民人口:854人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ねじばな便り
  〜1960年代の合意-俗化させず大衆の山に~            中川 正次
◆編集局からのお知らせ                 
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◆ねじばな便り
  〜1960年代の合意-俗化させず大衆の山に~            中川 正次
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  山森直清さんの話に戻ります。山森さんは、戦艦大和から生還し、戦争が終わった後、北
陸電力に勤められ、真宗大谷派の門徒として生涯を過ごされ、2008年10月8日に亡くなられま
した。85歳でした。私は、お家に、20回ぐらい遊びに行きました。話は、海軍兵学校、戦艦大
和、北陸電力、親鸞など。

 ここで、北陸電力の有峰電源開発を振り返ります。大きく、2期に分けることができます。

 まず、1期目。有峰ダムの堰堤の上を右岸(ビジターセンター側)から左岸(キャンプ場側)
に向かって進むと、堰堤の左側にひっついた小さな建物にたどり着きます。和田川第一・第
二発電所取水塔です。北陸電力が有峰ダムを完成させた1960年に稼働しました。ここで、
有峰湖の水が、取り込まれ、和田川の右岸の山の中トンネルをほぼ水平に進み、真谷でど
んと落差を駆け下り、和田川第一・和田川第二発電所・新中地山発電所などの発電所で発
電しています。なお、新中地山発電所は、小口川の下流、中地山にあります。和田川から尾
根をトンネルで潜って、尾根の反対側の小口川に水が行っているのです。

 次は2期目。話を、堰堤に戻します。さきほどの取水塔をさらに進むと、湖の上に建物が突
き出て、その建物と堰堤を橋がつないでいるところにたどり着きます。500メートルの堰堤全
体の4分の3ぐらいのところです。この建物が有峰第一発電所取水塔です。ここから取り入れ
られた有峰湖の水は、和田川左岸をトンネルで進み、真谷の有峰第一・有峰第二発電所・有
峰第三発電所などで発電します。なお、有峰第三発電所も中地山にあります。この一連の工
事が、1981年に完了した有峰再開発です。有峰再開発までは、今のビジターセンターなどが
ある猪根平は、工事にとって重要な基地でした。有峰再開発が終わり、工事基地としての役
割がなくなったので、県はビジターセンターやテニスコートなどを整備したのです。

6つの発電所の認可最大出力を並べてみます。
和田川第一 27,000kW
和田川第二 122,000kW
新中地山 74,000kW  上の3つの計223,000kW
有峰第一 265,000kW
有峰第二 120,000kW
有峰第三 20,000kW  上の3つの計405,000kW
6つの合計628,000kW

 北陸電力は、この有峰再開発完成を記念して「有峰と常願寺川」という社史を作りました。
その社史の編集責任者が山森さんでした。戦前戦後の電源開発の歴史を中心に、中世の有
峰の歴史などにも触れた素晴らしい本です。山森さんは、富山県立図書館・富山市立図書館
に通って、大正年間の新聞記事などの文献を丹念に読んだそうです。晩年、東本願寺に通っ
て、聞いた講話をテープ起こしし、講師にチェックしてもらっているという山森さんの原稿用紙
を見せてもらいました。まるで活字のような美しい字が並んでおり、山森さんの性格が表れて
いました。そんな山森さんが、北電現役時代に編集した本ですから、半端な本ではありませ
ん。

 私は、それまでも有峰森林文化村を構想するために、「有峰と常願寺川」も読んでいました。
しかし、あの緻密な山森さんが作られた本とあって、もう一度、精読しました。有峰に限らず、
およそ歴史を知るうえで、社史は極めて重要ということを知ったのはその時でした。担当者
が、給料をもらいながら、勤務中に、予算もばっちりついた本を作るのですから、好事家が作
る歴史書とは格段に違います。古事記や日本書紀も、その類と考えれば間違いがありませ
ん。

「有峰と常願寺川」の146ページに、こんな文があります。

 有峰のもつ神秘性を失わせずに、俗化しない"大衆の山"とするために、 当事者たちの豊
かな発想が期待される。

 この一文、山森さんが性根を入れて書かれたものだと思われます。私は、それまで、「俗化
させない」だけを知っていたけど、「神秘性」、「大衆の山」、「当事者」、「豊かな発想」という言
葉にどきっとしました。とりわけ、大衆の山に、クォーテーションマークがついています。
そこで、他の文献にもう一度当たってみることにしました。

 1957年発行の「有峯を探る」という有峰における必須の文献の中に、北日本新聞社政治部
長の深山栄さんの、「無限に拓ける国際観光地」という文章があります。

 さらに夢を語らせてもらうとすれば有峯から薬師までバスで行けるようにしたいということだ。
この自動車コースはまさに快適だろう。 薬師まで行けばあとは五色ケ原へもゆける。さらに立
山までも延ばしたい。(中略)もちろん国立公園法とやらいう厄介なシロモノもあり、厚生省もな
かなかいい顔をしないだろうが、俗化でなく、大衆の山とするためには少しぐらいは太ツ腹であ
らねばなるまい。(引用ここまで)

 ここでも、俗化と大衆の山がセットで出てきています。有峰・薬師を知る者として、なんと恐ろ
しいことを深山さんは語っているのだろうと思います。「太ツ腹」な人にとってみれば、観光客が
来てくれることこそが大事で、自然とは、所詮、客引きなのでしょう。あるいは、1957年当時の
人々の自然観はそんなものだったと解釈するのが穏当なのかもしれません。

 この「無限に拓ける国際観光地」論は、いつまで立っても消えることがなく、今日も姿を変えて
繰り返されていないでしょうか。しかも、今日の観光論の中では、「俗化させない」も「大衆の山」
もブレーキとして意識されることなく、「無限に拓ける国際観光地」だけが論じられていると私は
懸念しますが、如何。

 そんな問題意識をもって、日々を過ごしていたとき、立山山麓地域を森林浴地帯としたいとい
う構想の元、その研究会が開かれました。有峰担当ということで私が呼ばれました。座長は、
現在、イタイイタイ病資料館の館長をなさっている鏡森定信先生。公衆衛生が専門の先生は、
森林浴も研究されていたのです。立山国際ホテルを会場に、4月末の土曜日曜泊りがけで開か
れた研究会には、県、大山町、立山町、立山黒部貫光株式会社、千寿ケ原や本宮の旅館関係
者などが集まっていました。県からは、私の他に、4月に着任したばかりの観光課長が出席。
彼が、県の観光施策の概要説明した後、私が発言しました。

 立山に関しては、「俗化させない」という理念が、県民の中に脈々として流れていたのではない
か、それを忘れて、観光を論じるのはよいことなのか。

 観光課長は、私より年下であり、出世レースから落伍しつつある私は、少なからず悋気(りん
き)していたことを、ここで、告白します。

 すると、立山黒部貫光から来ておられた金山さんが発言された。

 私は、長らく、佐伯宗義社長(富山地方鉄道の社長でもあり、衆議院議員でもあった)の秘書
をしていました。私たちは、社長のことをオヤジと呼んでいました。オヤジは、いつも「俗化させ
ず大衆の山とする」ということを口が酸っぱくなるほど、言っていました。(発言ここまで)

 これで、はっきりしました。1960年当時において、「俗化させず大衆の山とする」は、富山民の
合意であった。それが、40年たって、「大衆の山」がいつしかすたれ、「俗化させず」だけが、辛
うじて、人々の口の端に登るようになっていたということです。

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◆編集局からのお知らせ                    有峰森林文化村
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◇次号の有峰森林文化村新聞は、3月17日に発行予定です。

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                         有峰森林文化村助役(編集長)
あおさん クックックぅーからワァハァハぁー

 先日、廣瀬 誠氏が書かれた「有峰雑談」を読んでのこと。その内容は、
昭和10年代、たしか翁 久允さんに伺った話だったと思う。
 有峰は雪が深いので、冬場には隣家との行き来も困難になる。それで、竹の筒を架け
渡して置き、その竹筒に口を当てて話し、竹筒を耳に当て隣人の声を聴く。寒さが厳し
くなってくると、その声も凍ってしまって届かなくなる。やがて春になると、竹筒内で
凍り付いていた声も融け、どっと隣家に届く。一冬の間に溜まっていた声が重なりあっ
て響くので、その賑やかなこと、騒々しいこと…………。

 今度、山に上がったら、凍り付いた竹筒を見っけたぁ~い。