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有峰村民の皆様と、双方向で交流するメールマガジン

有峰森林文化村新聞 2016年12月22日 第377号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/青山和浩
(発行日現在の有峰村民人口:854人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ねじばな便り
  〜山森直清さんから学ぶ1回目~                中川 正次
◆編集局からのお知らせ                 
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◆ねじばな便り
  〜山森直清さんから学ぶ1回目~                中川 正次
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 有峰森林文化村には、いろんな計画や文章があり、開村式や有峰ハウスのオープン
が絡み合い複雑です。それを図化するとこのようになります。

図1 有峰の色々な計画

A 基本理念。「水と緑といのちの森を永遠に」2001年5月。
B 基本構想。これも2001年5月。Aの基本理念を中核とする構想です。
C 基本計画。Bの基本構想を具体化するためのものです。2001年10月の段階でほぼ
  出来上がりました。きっちり確定したのは、2002年7月。
D 憲章。E シンボルマーク。Cの基本計画と連動して、これらも、2002年7月。
F 開村式。2002年8月3日。
G 県の有峰森林文化村条例。2002年6月県議会で制定。
H 新有峰ハウスのオープン。2004年10月。

 2000年当時、考えていたのは、Fまでです。そこまではトントン拍子に進みました。
模範的な進み方だったと思います。しかし、Gの条例や、Hの新有峰ハウスなどは全く
考えておらず、この点に関しては、中沖豊知事の後押しがなければあり得ないことで
した。
 県のあらゆるプロジェクトにおいて、B基本構想とC基本計画は不可欠です。しかし、
Hのハコモノを前提に、逆算してBとCを作ることがほとんどです。Hのハコモノのため
にはGの条例が必要であり、さらにA基本理念、D憲章、Eシンボルマークが定められる
という感じです。それに対して、有峰森林文化村は、担当者から部長までが、Hのハ
コモノなどみじんも意図することなく、Aの基本理念をど真ん中に置いて、D、E、Fを
目指していたのです。ほとんどの県庁の職員は、ケチです。財政健全化が大事だと思
っています。ですから、財政負担を増しかねない新しいハコモノを欲しがる県職員は
ほとんどいません。そんなことを言おうものなら、コテンパンに叱られます。富山県
において、ハコモノ建設の主導権は、一人、知事が握っていると考えて間違えありま
せん。
 東洋の森林文化をやりたいという小見豊さんの中沖さんへの説明が優れていたこと。
基本理念、基本構想、基本計画、憲章といった一連の流れが、旧制富山高校出身の知
事として、吉田知事、中田知事がそうであったように、哲学的な何かを残したいと思
っていた中沖さんの気持ちを動かしたこと。これらが、ボロボロだった有峰青少年の
家を、木造の有峰ハウスとして新しく作ろうと決意させたのだろうと推測しています。
決して、部長以下がおねだりしたものではありません。

 さて、このような調子で、基本構想がどうのこうの、条例がどうのこうのと書いた
ところで、退屈と思われるのが関の山です。皆さんに、有峰森林文化村の目指してい
たことをお伝えする、とりわけ、有峰で働いている人たちに、こんな考えで進めてい
たのだということを伝えなければならないと思っています。そのためには、個人に着
目した記述をしようと思います。1853年に黒船が来て、1868年に五箇条の御誓文とい
う歴史より、坂本龍馬は1865年に亀山社中を作り、1867年に暗殺されたという歴史の
ほうが、面白いでしょう。それと同じです。

 有峰森林文化村新聞 2016年10月28日 第374号で描いた、図を書き換えました。
今度、輪ゴムにあたるのが、基本理念と憲章です。この輪ゴムは、いくつかのペン、
鉛筆、色鉛筆を留めています。輪ゴムは、一か所で留めているだけです。決して、二
か所で留めてないので、ある程度ぐらぐらしています。そのペンや鉛筆として、山森
直清さん、梅原猛さん、長井真隆さん、稲本正さん、中野民夫さん、平内好子さんを
挙げたいと思います。基本理念を作り上げた当時から、今日に至るまで、私の有峰森
林文化村に対する考え方の基礎を教えてくださった方々です。
6本の鉛筆を、中央の輪ゴムで留めているイメージです。

図2 基本理念という輪ゴムとペンや鉛筆

 その方々を、どんなアイデアを教えてくださったかを中心に、一人ひとり紹介して
いきます。その方によって、何回にも分けて書きます。
 お一人目は、山森直清さんです。
 2000年3月だと思います。県の治山課課長代理をしていた私は、あるハンコを押し
てもらうために、有峰管理事務所の中村百(なかむらひゃく)所長代理と有峰の麓、
亀谷(かめがい)に雪の残る一軒のお家を訪ねていました。有峰林道小見線の入り口
に、亀谷連絡所があります。そこの敷地は、駐車場も含めて、県が借りています。
地権者が、8人おられます。小見と亀谷だけでなく、岐阜県、京都府の方もおられま
す。その地権者の方々に、借地契約を更新してもらう必要があります。その地権者代
表が、山森直清さんだったのです。

 玄関に入ると、下駄箱の上に、軍艦旗がかざってありました。「あちゃあ、右翼の
人!」とちびりました。応接間に通していただいて、鴨居を見ると、潜水艦の絵や、
軍艦の絵が並んでいます。じっと目を凝らすと、広島県江田島の海軍兵学校の絵があ
ります。私は、日本国憲法はいいと思っています。そして、海軍は、ストライクゾー
ンです。横須賀の戦艦三笠(日本海海戦の連合艦隊旗艦)に二度乗り、江田島を見学
しました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」はだいたい覚えており、阿川弘之の「米内光
政」、「山本五十六」、「井上成美(せいび)」は、何度読み返したかわからないく
らいです。山森さんに教えられて、後に、呉の大和ミュージアムにも行ってきました。
そして、高校の現代国語の教科書にあった「戦艦大和の最期」(吉田満著)は、愛読
書の一つです。

 おそるおそる、「あれ、海軍兵学校ではないですか」と聞くと、「そうだよ、私は、
戦艦大和に乗っていたんだ」。ソファから転げ落ちるくらいにびっくりしました。
海軍兵学校は、海軍兵科将校を育てる学校。平時は年間100人くらいしか採用がなく、
おおむね旧制中学から受験します。そこは、旧制一高三高なみの難関。大正10年生ま
れの父の小学校同級生が、海兵(海軍兵学校の略)に行っておられます。小学校創立
以来、たった一人でしょう。70期(昭和16年11月15日卒業)は、432人。うち、富山
県出身は、高岡中学1人と礪波中学1人だけ。幸い戦死はされていないようです。
「担任の先生がいつも自慢しておられた」と、父が言っていました。

 大正12年9月11日生まれの山森さんは、73期(昭和19年3月22日卒業)902人の一人
です。敬愛する井上成美中将の校長時代に卒業されています。その時の富山県出身は、
10人。魚津中2、富山中3、神通中(富山中部高校の前身)2、高岡中2、礪波中1。
うち戦死3。20歳をちょっと超えた前途洋洋の人たちがと思うと、胸が詰まります。

 この背中のピンとして痩せたご老人が、エリート中のエリート、海兵とは。江田島
の海兵跡(海上自衛隊第1術科学校)を見に行ったこと、井上成美が好きであること
を、山森さんに話しました。井上に対して無反応だったのは、快く思っておられなか
ったのかも知れません。極め付けは、大和に乗っておられた生還されたこと。「戦艦
大和の最期」は、高校の教科書にあり、今も、よく読み返すことを話しました。ちな
みに、昭和20年4月沖縄に向かう途中で沈んだ戦艦大和では、2,740人戦死。生還者269
人または276人。一方、戦時中の海軍航空特攻隊員の戦死は2,531人、陸軍航空特攻隊
員の戦死は1,417人。参考までに、真珠湾攻撃におけるアメリカ軍の戦死は、2,345人。

  写真 山森直清さん(撮影:犬島肇氏)

 しかし、このご老人、偏屈な右翼である可能性を否定できません。訪問の目的は、
あくまでも、つつがなくハンコを押してもらうこと。憲法9条好きがばれて、「そん
なやつとは話ができん」とつむじを曲げられては、失態です。応接間の向こうには、
仏壇の扉が開かれており、鴨居には、海軍もののほかに、親鸞ものも飾ってあります。
私は、梅原猛さんの本を何冊か読んでいたので、仏教、浄土真宗、とりわけ、歎異抄
もストライクゾーン。「親鸞ですよね、私も親鸞、好きです」と、海軍を離れて、調
子を合わせるきっかけを見出しました。「私は、真宗大谷派の門徒で富山東別院の責
任役員をしている。毎月、京都の東本願寺に通っている」と言われました。調子を合
わせて、親鸞、蓮如や歎異抄の話をしていると、中村さんが、袖をひっぱります。さ
もありなむ。土地賃貸借契約の話をすると、即座に、「みんなのハンコ集めとくちゃ」
と快諾されました。「ごめんください」から「失礼します」まで、30分。海軍の話12
分、歎異抄の話15分というところです。

 家に帰ってから、高岡高校で「戦艦大和の最期」を教えてくださった犬島肇先生に
電話で、「今日、仕事で、海兵出身で、戦艦大和に乗っていて生還した人に会ってき
ました」と興奮を伝えました。先生も驚いておられました。
 「水と緑といのちの森を永遠に」の輪ゴムで留められた一つの鉛筆は、「俗化させ
ず大衆の山とする」です。それに一番、影響を与えてくださったのが、山森さん。
次号でさらに詳しく、説明します。

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◆編集局からのお知らせ                    有峰森林文化村
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◇次号の有峰森林文化村新聞は、1月13日に発行予定です。

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                         有峰森林文化村助役(編集長)
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