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有峰森林文化村新聞 2016年11月18日 第375号
編集/有峰森林文化村会議 編集長/青山和浩
(発行日現在の有峰村民人口:859人)
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━━目次━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ねじばな便り
  〜東洋の森林文化~                 中川 正次
◆編集局からのお知らせ                 
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◆ねじばな便り
  〜東洋の森林文化~                 中川 正次
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 県や市町村にとって、拘束力を持つのは、条例、規則とその年の予算
です。条例と予算は、知事や市町村長が案を議会に提案し、議会が議決
して条例と予算になります。規則は、首長が議会に諮ることなく決める
ことができます。しかし、これらの条例・規則・予算の3点セットでは、
将来への方向性を示すことが出来ないので、総合計画という複数年を見
渡した計画を作ります。そこに書いたことが実現されなくても問題あり
ません。絵に描いた餅であってもかまいません。例えば、射水市太閤山
に鉄道を走らせるなどという絵が描いてあります。

 戦後2代目の高辻武邦知事は、1952年3月に「富山県総合開発計画」を
作りました。これは、よそより早いだけでなく、大変な力作であったこ
とから、全国の注目を浴びました。元大東亜省管理局長の山越道三氏の
熱意ある指導の下に作られたもので、水力発電による重化学工業の発展
を中核に置いた、7巻3900頁にもわたる大計画でした。
http://www.pref.toyama.jp/branches/1133/derukui/vol1/72.html
 総合計画を立てて、県政の指針としようとする流れは、このときに始
まり現在も続いています。もちろん、ページ数は格段に少なくなってい
ます。しかし、策定にあたって知事を先頭に県職員が心血を注ぐことは、
昔も今も変わりません。

 総合計画は、時の知事の考えによって、内容が変わります。現在まで、
全部で12本の総合計画があります。その12本の総合計画を、哲学的な記
述があるかどうかで見ると、3つの総合計画が際立っていると、私は考
えます。
 第一は、1966年3月に作られた第3次富山県勢総合計画です。巻頭に、
3代目吉田実知事はこう書いています。
 従来のように物質偏重におちいる弊をさけ人間尊重を基調とする社会
開発の推進を重視し、とくに計画を実現するのは原動力となるのは人で
あることに思いをいたし、ともすれば不安定になるおそれのある人間の
精神的姿勢を正す糧として「望ましき県民像」の提唱をみたのでありま
す。今の感覚からすれば、「望ましき県民像」なんて、「上から目線」
だなあと思いますが、精神的なことを真正面に持ってきたことは特筆す
べきことだと思います。
 第二は、1970年、4代目中田幸吉知事の第4次富山県勢総合計画です。
この総合計画から、テーマが掲げられるようになりました。そこでは
「価値ある県民生活の探究、実現」を掲げています。上から目線ぶりは
薄まり、物の豊かさから心の豊かさへの移行を意図した計画となってい
ます。背景として、イタイイタイ病など公害デパート県返上の願いが込
められていたと思います。
 これら二つの総合計画は、精神的なことの重要性を説いています。
しかし、深い歴史的な考察を踏まえていないのではないかと、私は考え
ます。せいぜい、1945年以降の日本、富山県の、社会のありよう、もの
の考え方に対する反省に立った記述です。

 哲学的な記述がある第三の計画は、2001年4月、5代目中沖豊知事の富
山県民新世紀計画です。これは、上に掲げた2つの計画とは異なり、文
明史的な思索が感じ取れます。その巻頭のページの中の4つの文を転記
します。
 今、この歴史的な場面に立ち、「戦争と技術」の時代と言われる20世
紀を顧み、新世紀において、平和を守り、かけがえのない生命を未来に
継承し、文化の発展に貢献していくことが、この時代に生きる私たちの
使命です。「平和」は、人類共通の願いであり、社会の繁栄と人間の幸
福の前提となるものです。その実現には、交流を広げ、お互いを認め尊
敬し合うとともに、紛争を回避するためのあらゆる努力が必要です。
「生命」は、生と死が繰り返される悠久の歴史の中で、大切に受け継が
れてきたものです。すべての人の生命、自然界における万物の生命には、
祖先の祈りと希望が託されています。
 この総合計画のテーマは、「水と緑といのちの輝く 元気とやま」で
す。翌5月に策定された有峰森林文化村基本構想は、「水と緑といのち
の森を永遠に」です。総合計画に連動させた有峰森林文化村という見方
は表面的です。有峰森林文化村にまつわる2000年の議論が、県全体の総
合計画に少なからざる影響を与えたのではないかと、私は考えています。

 1999年に治山課に異動してきた私は、福田総一郎課長と相談して、有
峰に関する土地勘をつけることから始めました。土地勘とは、現地を知
るだけでなく、制度を調べ、文献やよく似た事例を調べることを含みま
す。有峰管理事務所の背戸川儀高所長、中村百(ひゃく)所長代理に話
を聞き、事務所に泊めてもらい、現地を案内してもらいました。大学4
年のとき、京都銀閣寺の裏にある大文字山に、部活の合宿最終日の恒例
行事として競走で登って(約30分)以来、山に登ったことのない私は、
猪根山遊歩道を中村所長代理と登り、下りで足ががくがくになるという
体たらくでした。大学以来ずっと、「なんで、つくつくの所(とんがっ
た場所)に行かなければならないのだ」と思っていました。また、有峰
の参考例を求めて日光を視察し、環境庁の人に話を聞いてきました。林
野庁の林業白書を読みました。しかし、その白書は、ぬるい内容でした。
もっと、がつんと来る本はないものか。治山課の本棚に筒井廸夫東大教
授の「森林文化への道」という本がありました。島崎清明主任に勧めら
れて、梅原猛さんの「森の思想が人類を救う」と飯田辰彦さんの「有峰
物語」を読みました。また、岐阜県立森林文化アカデミーという学校の
視察に行きました。森林文化という言葉は、筒井教授が発案者です。
 しかし、当時、実際に行政で使われているのは、岐阜県立の学校だけ
という状態でした。「森の思想が人類を救う」と「有峰物語」を読むと、
森林文化という言葉こそ使われないものの、筒井教授の森林文化そのも
のがそこに書いてありました。

 2000年4月、課長が小見豊さんに代わりました。隣の机に座っておら
れた小見課長と、朝な夕なの話し合いから、「有峰森林文化村」という
名前が出てきました。筒井教授の「森林文化」で行こう。なぜ「村」か
と言われたら、昔、有峰には人が住んでいた。今、村民はいない。しか
し、住民票はなくとも、有峰を愛する人を村民としようという発想です。
小見課長も私も、「英語を極力避けたい。センター、アカデミー、ビレ
ッジなどは、とんでもない」という考えでした。石川県は、白山から能
登まで広がる「いしかわ自然学校」という雄大な構想を進めていました。
石川県庁が富山県庁をどう意識しているかは別として、富山県庁は、加
賀藩の石川県庁のやっていることに、常にアンテナを張っています。そ
の「いしかわ自然学校」の新聞記事に、「環境教育のメッカを目指す」
と書いてありました。石川県の人が新聞記者に説明したとき「メッカ」
という言葉を使ったのか、それとも記者が編み出したのかわかりません。
しかし、有峰森林文化村を説明するのに、「メッカ」などと言われたら、
私たちには湯気を立てて怒ります。当時の部長は、上江崇春氏。上江部
長に、「有峰森林文化村で」と相談したところ、それで知事のところに
行って来なさいとのことでした。青少年の家とビジターセンターを所管
する生活環境部とのすり合わせはしていません。

 2000年の初夏だと思います。小見課長が、中沖知事に有峰森林文化村
を説明されました。私も、同席しました。せいぜい5分くらいでしょう、
紙は1枚だったと思います。知事が、「うーん、森林文化ねえ。北欧や西
欧の森林文化はどうなっているのかね」と質問されました。
 小見課長は、間髪を入れず、「ヨーロッパの森林文化は、私にはわか
りません。私は、東洋の森林文化をしたいのです」と答えられました。
知事は、「わかった。東洋の森林文化で行きなさい」と指示されました。
以降、有峰については、中沖知事とやっかいな相談をしたことがありま
せん。ツーカーです。それほど、小見課長の「東洋の森林文化」は、中
沖知事の心をがっちりつかんだのだと思います。有峰森林文化村が、
2001年の総合計画に少なからざる影響を与えたのではないかとする推論
の根拠は、この2000年初夏の中沖知事と小見課長のやりとりにあります。
 その後、中沖知事は、有峰森林文化村憲章の原案について、折々の歌
の大岡信さんに、赤坂プリンスホテルで相談されました。有峰森林文化
村村長に就任してもらうために、梅原猛さんを、哲学の道の南端にある
自宅に訪ねられました。いずれも、私も同席しております。また、前に
書いた有峰森林文化村条例を制定すべしという指示、さらに、有峰ハウ
スを新築するという決定。このように、中沖知事の格別な思い入れなし
に有峰森林文化村は存在しなかったのです。

 中沖知事の、有峰に対する積極性の背景には、「私は、難しいことは
わからない。武士道と浄土真宗でいくのだ」という、小柄ながらも腹の
座った小見課長。人望のある人とはこういう人と思わせる人柄で、きち
んと方針を示唆し、気さくで、細かいことは部下に任せる上江部長。
このお二人がおられたのです。

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◆編集局からのお知らせ                 有峰森林文化村
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◇次号の有峰森林文化村新聞は、12月9日に発行予定です。

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 ますので、どしどし投稿をお待ちしております。
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                     有峰森林文化村助役(編集長)
あおさんおりる
 有峰から下山し、今週からは富山市街地で勤務しております。
たった半年なのに、環境がガラリと変わったギャップに身体が順応していま
せん。それ以上に、有峰に対する想いは、上山する時とは、まるで違ってい
る我が身の変化におののいています。
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